僕にガム乞食するのはやめてください。

私立大学文学部へ入学した学生のこれまでとカリスマブロガーになるまで。

生きること以外で悩める時間があるのは今のうち。

どれほど重要な時間なのかは、過ぎ去ってから気づくことが多い。

 

 

という、セリフが最近心にしみてくるようになりました。これは、Lump of Sugarから2010年に発売された"Prism Rhythm-プリズムリズム-"という名作ゲームに登場するフクロウのバビィさんのセリフです。確か、恋愛で悩む主人公に対し、若者よ悩め悩めみたいな感じでいったセリフだったと思います。

 

確かに自分の悩みなんて生きることと比べたらちっぽけなものなのかもしれない。卒論が進む気がしないとか、大学院に進学できなかったら……みたいな。でも、カルマルカ・サークルという駄作の主人公、御影海斗が言っていたように「遠回りしたって後悔するかもしれないけど、その遠回りした分だけいろいろ経験することもできる」というわけですよ。

悩んで、遠回りしてもその分経験を積むことできれば、それだけ人生が豊かになったということですし。遠回りした結果、悩んだ結果がどうこうよりその過程を大切にするべきだよね。うん。だって、僕たちはこれから先も生きていくのだから。

 

 

 

 

さて、ゲームのキャラクターのセリフを借りて偉そうなことを言いましたが、僕の遠回りはどうかという話です。正直もう遠回りというか立ち止まってます。なんか、やる気が出ないし。お勉強しようとしても2時間位で力尽きるし、論文も1日1つは読んでいたのが、週に2つが限界だよ。

 

そんで、何をするかというと、味方に暴言を吐きながらゲームをする。ゲームも少し前までは、負けたら自分がどうすれば勝てたのかって考えていたけど、もうやめた。味方が悪い。そのほうが気が楽になる。自分が何やっても勝てないときは勝てない。自分が死なずに全員倒せば理論はやめた。

 

 

このままでいいのか?

 

 

正直就活していたほうがよかったのではないかと思う時もある。なぜ一人でいばらの道を選んだのか、もし僕の隣に桜小路ルナみたいな女性がいて、あの時大蔵遊星へ言ったように僕にも「易しい道に一人分の幅しかないのであれば、私は喜んで茨の道でも歩んで見せる」と僕を応援してくれていれば、もっと頑張れるのだろうか。

 

自分のために頑張るのは限界があるのではないか? 恋って、自分より愛せるという人に抱く感情だと思うんですよ。自分よりも大事にできるってこと。

 

自分が一番のこの状態では頑張れる上限が決まっているんですよ。自分より大事な人のために頑張るのなら、その上限を解放できるのではないだろうか。

人は成長するために恋をするんだなって。恋愛脳ってやつですか?

 

 

とはいっても、まずは自分の意思が重要なことには変わりない。J. P. スタンレーの言葉にもあるように「自分でこうだと思う意思。意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変える」のだ。

意思がないと希望も生まれず、夢なんて存在しない。漠然と進学して~みたいに思うのがよろしくない。強固な意思を持たなくては、世界なんて変わっていくわけがない。

 

 

夢といえば、キャロライン・マリーゴールドも「夢は自分の心の中を映すものだよ」という言葉を残している。やはり夢と意思の相互関係なんだなって。

 

 

 

 

と、ここまで話しておいて、今の屑っている僕に強い意思を持たせるにはどうするんだって言うことですよ。そこを変えないとどうしようもない。

何の解決にもなっていないんだよ。

 

 

 

 

とまぁ、こんな感じでゲームのセリフを使いながら今の腐った自分を奮い立たせようとしましたが、うまくいきませんね。

 

 

なり行きに身を任せるしかないのか。過程をどう過ごすかより、結果をどう受け止めるかにシフトするべきなのだろうか。