僕にガム乞食するのはやめてください。

私立大学文学部へ入学した学生のこれまでとカリスマブロガーになるまで。

別れはいつか訪れるけど、そのあとのこともちゃんと考えなくてはいけない。振る方はそこまで責任を持つべきなのではないか?

ドキュメントを整理していたら1年くらい前に書いた文章が見つかった。どこにも出してないはずだし、今日の更新はこれですましちゃおう。今日の帰りは遅いしね!

 

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恋人がいる人に「今の自分に満足していますか?」と尋ねてみたい。そんなこと尋ねても意味はないということはわかっている。恋人と一緒にいることに価値を見出しているからその二人は付き合っているからだ。つまり、先の質問をしたところで返ってくる答えは必ず「満足だ」「幸せだ」などといった甘い言葉になるはずだ。ここで「満足していない」と答える人は恋愛に向いていない。というより、なぜ付き合っているのか問い詰めたい。そして、今すぐ交際相手に別れを告げるべきだ。「交際していても満足感が得られない」と。その方が二人のためだと思う。

ここまでで、私が恋愛それ自体を憎んでいるような印象を与えてしまったかもしれないが決してそういうわけでない。恋愛それ自体を否定したいわけではない。恋愛は基本的にはいいことだと思っている。自分をかき乱してしまうような強い気持ちを受け止めてくれる人間がすぐ傍にいることは他の何にも代えがたい素敵なことだろう。自分を認めてくれる人間がいる。そんな素晴らしい人生を捨ててはいけない。

さて、前置きが長くなってしまったが、言いたいことは一つで、その内容も単純明快である。私は離別の物語が好きだ。という話である。それは、読者である私から物語の主人公がヒロインを奪われるのが嫌だから別れてほしいというわけではない。実際、主人公とヒロインが様々な困難を乗り越えて、最後は結ばれてハッピーエンドという過程で何度も涙した。そのような作品は数え切れないほどある。そのためなのか、ハッピーエンドというぬるま湯につかっていた私がいきなり、離別という熱湯をかけられたとき、その作品は確かに私の体を傷つける。そしてそれは永遠と私の体に刻まれることとなる。人の顔を見たとき、その人の顔に傷があった場合、美しい瞳よりも先に傷跡に注目してしまうだろう。それと同じように、私が今まで触れてきた数々の作品を思い返すとき、傷をつけた離別を描く作品のほうをよく思い出してしまう。単純接触効果と呼ばれるものがある。これは、あるものに繰り返し接することでそれに対する好感度が上がっていくというものである。私が、離別の物語を好んでいるのも、よく思い出すからなのかもしれない。

しかし、私の好みを単純接触効果で簡単に説明しきってしまうのは残念なので、離別について考えてみる。

数ある離別を描く物語の別れの理由として私が最も好きなものは死別である。好き合っていた二人が「死」というリアルによっていきなり分断される。残された者は嘆き悲しむ。しかし、いつまでも悲しんではいられない。彼または彼女は、新たな一歩を踏みださなくてはいけない。その一歩を踏みだすまでが私の好きなところである。しかし、死別からその後の一歩までをその人だけの力で踏みだすことは難しい。人間が草食動物のように生まれてからすぐ立ち上がることができなく、立ち上がるまで手厚い援助が必要なのと同じく、別れから立ち上がるのにも他人の助けが必要である。ここでの他人に当てはまる、最も適した人物はその死んだ恋人だ。そのような、自分の死を悲しむ人間に肩を貸すという物語が好きだ。

因みに、訪れた死が突然のものか、予定されていたものかでこの物語のジャンルは変わる。事故などによる突然の死の場合はその物語はファンタジー作品となる。日ごろから自分の死を想定して交際相手に対しその後の便宜を図っている人間はいないだろう。生き返りかなにかによって残されたものの介助をする。一方、病気などで死が予定されている場合は死んだあとのことを考え、様々な計画を立てることができる。現実でもあり得る後者の死別について語りたいところだが、私がここでごちゃごちゃ話すより、実際の作品を見てもらう方がいいと思うので、ひとつの作品を紹介するだけで死別についての話は終わろうと思う。

『P.S.アイラヴユー』という作品だ。これが理想の死別のひとつである。死の瀬戸際にいて恋人がいる人には、この作品で描かれているようなことをしてから死んでもらいたい。そして私に、感動のノンフィクションを提供してもらいたい。

さて、ここまでくると、離別をするだけでは物語として素晴らしいものにはならないということが分かってくるだろう。ただ別れるだけの物語に出会ってしまったとき、私は作者の「ほら、愛し合っていた二人が分かれたぞ。悲しいことだろ。泣けよ」といった言葉が聞こえるようで気分が悪くなる。

離別を扱う物語にはそのあとの人々の新たな一歩、つまり成長が描かれていないといけない。そうでないと二人はただ別れただけで、付き合っていたことの意味なんて何もなかったことになってしまう。ただ時間と多少のお金、そしてお金では表せないとても貴重な感情を無駄にしただけだ。

しかしながら、現実は物語のようにはいかない。カップルが別れる理由として挙げられるものといえば、「他に好きな人ができたから」「愛が冷めた」さらには「よくわからなくなってきた」と自分のほうがわからないと突っ込みを入れたいくらい理不尽な理由だ。別れを告げられた側はたまったものではない。それまで抱いていた恋心は憎しみへと変わり、負の感情しか生まなくなる。そこに成長なんてものは存在しない。

なら別れなければいいのだが、そうあることが一番いいのだが、それは難しいことであるというのが残念なことである。人間はそれぞれ人生を歩む速度が違う。そんな二人が付き合った場合、最初のうちは手をつないでどちらかが引っ張ってあげればよいのだが、いつかは疲れて立ち止ってしまう。そのとき、別れを告げた方は相手がこれからも歩いていけるようにその先に続く道の少しは整えてあげなくてはいけない。そうすることは相手の人生を少し狂わせてしまったことに対するせめてもの償いとなるのではないのだろうか。

恋人がいる人に「決して、別れるな」と言いたい。そのまま人生を歩んで、ある程度の時が経ったら二人の幸せな物語を私に聞かせてほしい。しかし、それ以上に、少しでも満足していないカップルには互いに背中を押しあって別れてもらいたい。そして、別れとその後の成長についての物語を私に聞かせてほしい。恋愛はそれだけで、物語が作れるような、人生の中でとても大きなイベントなのだ。

カップルを見て、そんなことを考えた。