アニメ『蒼の彼方のフォーリズム』最終話を迎えて。
人は空に憧れる。
そして、その空を飛ぶ鳥になりたいと憧れる。
空はどこへでもつながっている。その空を移動できる、翼を持つ鳥に憧れているのだ。
空を飛べれば、どこへでも行ける。
つまり、空を飛ぶことは人にとって、自由の象徴なのだ。
倉科明日香は空を飛ぶことに、自由を感じた。
乾沙希とイリーナ・アヴァロンは空を飛ぶことに、支配力を感じた。
アニメ『蒼の彼方のフォーリズム』は、自由と支配を描いた物語だった。
と言う感じで、真面目な評論記事みたいなものを書こうと思ったけど、やめた。なんだか、手が進まない。
一つだけ、確実に言えることは『蒼の彼方のフォーリズム』は最高だった。
空を飛ぶ自由に楽しさを抱くヒロインとその自由を脅かす存在が物語の核となっていた。
自分の自由を脅かすものが現れた時、人は恐怖を抱くだろう。
空を自由に飛ぶことに楽しさを抱いていた倉科明日香は、その自由を支配するというFCをする乾沙希に敗れた時、空を飛ぶことに恐怖を抱いていた。そして、一時は飛ぶことをやめた。
しかし、彼女は空に戻ってきた。楽しいことは楽しいのだ。あの時に抱いた感情をそう簡単に忘れることはできない。
そして、支配を乗り越えるために動きだしたのだ。
ここで、真藤の言葉がよみがえる。
怖いって楽しいからだよ。(中略)
変わることは怖い。でもそれを乗り越えれば楽しくなる。
自由を奪う支配という恐怖をさらに楽しさで塗り替える。乗り越える楽しさを鳶沢みさきは知っていたから、倉科明日香を空に呼び戻せたのだ。
なんだか、話が行ったり来たりしているけど、要するに、自分が恐れるものすべてにはそれを乗り越えるという楽しさがあるのだ。
山を登ることは大変だ。道は険しいし怖い。しかし、頂上で見る景色は美しい。だから楽しいのだ。(山登りをするわけではないので、ヤマノススメを見ての想像だ)
そのような、「楽しい→恐怖→もっと楽しい!」の話の構成がとても素晴らしいアニメだった。
サッカーに当てはめると、2014年W杯で、当時最強と呼ばれたスペインのサッカーが通じずグループリーグで早々と敗退を決めた時のようだ。
同じ戦略がずっと最強とされる世界ではつまらない。変化があるからやる方はもちろん、見ている方も楽しめるのだ。
FCの世界ではどんどん支配からの解放という形で変化し続けるだろう。まずはグラシュからの解放ということで、バランサーの解放という戦略が生み出された。
これからの進化が楽しみである。
まぁ、FCは架空のスポーツなんだけど……。
人間ドラマと、王道スポーツモノの完璧な融合を果たした『蒼の彼方のフォーリズム』。
改めて、このような素晴らしい作品と出会えたことに感謝を。
さて、近いうちに原作を買ってこないと!