声優が結婚するとなぜこんなにも気持ちが悪くなるのか。
つい15分ほど前、好きだった声優が結婚しました。
好きだったていうのは、恋愛感情とかではなく、声とかラジオでのトークとか。あと歌も。
決して「僕が結婚する!」とかそういう気持ちは抱いていなかった。少なくとも僕自身はそう思う。
そもそも話したことなんて、高校3年生の頃に言ったサイン会くらいだし。
何が言いたいかというと、僕はいわゆるガチ恋勢っていう存在ではないということ。
それなのに、いま、すごく震えが止まらない。今まで生きてきた中で覚えている限り一番のショックを受けている。
この心臓が押しつぶされそうな気分を表すのに、ショックという表現が正しいのかは分からないが。
ただ、何かを残しておきたい。そう思い、湧き出るイメージ、この感情について書き綴る。
ずっと好きだった幼馴染とかが結婚した時に抱く感情って悔しさなのかな。「あの時自分がちゃんと気持ちを伝えていれば……」とか過去の自分の行いに対する後悔が出てくると思う。
でも、今心にあるこの感情はそれではない。だってこの結婚において僕ができたことは何もないもの。
別の感情となると、悲しい気持ちってどういうものだったか。思い出せない。悲しいことって今までにあったのだろうか。
思い出した。これは悲しい気持ちだ。声優が結婚して僕は悲しいんだ。
そして、今は歴代で2番目の悲しさだ。
1番は小学1年生の頃から一緒に育った飼い犬が死んでしまった時。
悲しい気持ちは自分の中で大切な存在が消えてしまった時に抱く気持ちだ。
ということは僕の好きだった彼女は死んでしまったということになるのか。
好きな人がそうでなくなる時、その状況を説明できれば声優が結婚して気持ちが悪くなってしまう理由を説明でき、自分の中で折り合いをつけて乗り越えることができるはずだ。
好きになる人っていうと、やっぱり自分と同じ考えを持つ人かなと。
恋愛に関して自分の中で大きなアイデンティティというと、やはり性に関することだと思う。
ぬきたし的に言うと、僕は非性産主義者だ。他者、というか人間の性行為をとっても嫌っている。なぜなら欲望の赴くまま、性に溺れることは理性に負けていると考えているからだ。
食べ物に負けて本能のまま食料を貪る。これは人間の食べ物に対する敗北だ。
眠たくなって、自分のやるべきことを残したまま眠りにつく。これは自分自身に対する敗北だ。
他者の魅力に屈し、性行為に及ぶ。これは他人に対する敗北だ。
三大欲求のうち、ただ一つ異色な欲求がある。性欲だ。性欲だけ同じ立場であるはずの人間に対して敗北をしているのではないだろうか。
人を他の動物と異なった存在としている理性が他者によって侵されること、それがどうしても許せない。
もちろん、性欲が種の存続に不可欠であることは承知だ。しかし、どうしても許容できないのだ。同じ立場であるはずの人間に負けることは。そう思ってから、僕には種の存続は無理であることを悟った。
であるならば、好きになる人も同じではないと。他人に理性を侵されることに、どうしても折り合いをつけることができない弱い人間が。
僕は知っている。古くから結婚初夜という儀式があることを。現代においては、結婚初夜どころか、交際から数カ月も経たないうちに理性をめぐる男女の戦いが存在することを。
一般的に見れば恋愛関係と性は切っても切れない関係なのだ。
僕と同じような存在ではないだろうかと思っていた人が実は違った。
もちろん自分がマイノリティであることは百も承知だ。「何勝手に同じとか思ってるんだよ気持ち悪い」とか「拗らせてるな」とか言われることだろう。
ただ、そんな自分の中だけにあった平和な世界に現実からテポドンを撃たれた。それに少し動揺しただけ。自分の中にあった優しい人しかいない世界で一人寿命を迎えただけ。大往生だった。それが少し悲しかっただけ。そう整理することができた。それで十分。
人口の多くない僕の世界にとって一人減ることは結構な大打撃なので、再構築には少し時間がかかりそうだ。
しかし、いつかまた平和な日常が戻ってきますように。
そして、これからの世界が平和でありますように。