僕にガム乞食するのはやめてください。

私立大学文学部へ入学した学生のこれまでとカリスマブロガーになるまで。

幸せをためるトイレ。

僕あれなんすよ。自己アピールって嫌いでして。就活とかやばいだろうな。

でもその代りとして,人の悪くないところを見つけるのが得意です。これ重要なところね。良いところを見つけるのが得意なわけではないからね!

逆を返せば,人の悪いところを見つけるのが得意です。悪くないところっていうのは,僕が嫌いだと思ったところ以外っていうところで。

 

悪くないって言うのは良いって意味なのか?

 

そういえば葵トーリっていう某分厚いライトノベルの主人公も同じようなこと言ってた。

「哀しくないっていうことは幸せって事だよ」

って。

 

悪くないってことは良いってことですね。じゃあ,良いところを見つけるのも得意ということで。

 

 

で,話を戻して。

まぁブログって見てもらってなんぼのものじゃないですか。僕もたまにアクセス数がいつもの数倍になった日なんかちょっとうれしくなっちゃうし。

でもそういうことに幸せを感じるっていうのは,いつもとの違いっていう特別なことだからなのかなって。幸せっていうことは確かに幸せなのかもしれないけど,幸せな時っていうのは自分が幸せだということを実感できないんだよみたいな。それが普通だと思っちゃうの。

逆に不幸な時っていうのは幸せを見ることができるんだよ。どん底で,苦しくて,痛くて,哀しい時っていうのは,生きているって実感できる。

幸せが毎日続くっていうのは,自分が耐えられなくなっちゃう。よく言うじゃん、週に一度のトンカツが一番幸せを感じられるって。それと同じ。

 

似たようなこと他で見たことあるっていう人もいるかもしれないけど,その人の書いていることは僕が思っていたことと同じで,僕もそれを読みながら「めっちゃわかる―」ってなりながら泣いていたから許して。

 

 

 

で、僕はカウンターが大して回らないブログを書いている時が幸せ。書いている間は,いろいろなことを期待しながら書いているから。幸せなことがあると良いなって。

 

ブログを僕の知らない誰かに見てほしいなって思いながら書いているこの感じがいい。

 

誰も拾うことがないこのトイレのようなこの場所に、僕の幸せを綴った一文字一文字を流して溜めてっていうことの繰り返しが気持ち良いのだろう。

 

 

そういう幸せを感じて捨ててってしているこのサイクルが好き。書いていることが不幸なことでも,それを書いている間は自分の事を見ている。不幸も文字にしてこのトイレに流してしまえば、すでに流れていた幸せな文字たちと打ち消し合って不幸じゃなくなる。

 

不幸じゃないっていうことは幸せなんだよな。

 

 

 

そして,僕一人が自分の書いたものを見返す。誰も見ることがない100以上の記事となった幸せと不幸のブレンドの味。

 

不幸じゃない味がしてなんだか幸せ。