幸せは歩いてこないらしいけど、不幸は歩いてくるの?
3歩進んで2歩下がるあの曲。
この部分だけなら誰もが口ずさんだことが一度はあるだろう。僕もこれ以外の部分は歌えない。どんな歌詞かすら知らない。
というわけで今見てきた。なんか、結局幸せが見つかったのかどうかよくわからない。ただ、前向きに歩みを進めていこうという歌詞だった。
ところで、今までの人生において幸せが向こうからやってきたことはあったのか。自分が今まで経験してきた幸せを思い出してみる。
正直、何も幸せなことを思い出すことができない。その時その時で幸せを感じたことはあったかもしれない。
誰かとの幸せな恋愛経験も別れた後に思い出してみると悪夢以外の何物でもない。幸せはその時その時に感じるものなのだ。
あっ、思い出した。
アイドルマスターシンデレラガールズのアニメを見ているときは間違いなく幸せだ。アイドルマスターシンデレラガールズの思い出は穢されることはないだろう。ないはずだ。あってはならない。
この幸せはやって来たわけではない。アイドルマスターシンデレラガールズを視聴するという行為へこちらから進むことでその幸せを得られたのだ。
勝手にやってくる幸せについていうと「棚から牡丹餅」という諺が思い浮かぶかもしれない。
しかし、棚から牡丹餅も、棚のそばに進み口を開けていないとやってこない幸せである。幸せを求めていたわけではないが、自分の行動が偶然生み出したものである。
それでは不幸はやってくるのか。
と、ここまで書いて1時間ほど休憩してしまった。
なんだか雑なレポートみたいな文になってきたせいだ。こういう文体だと手が進まない。文章の着地点が見つからない。怖い怖い。
さて、休憩を入れたので再開。
不幸はやってくるのか。結論から言えば不幸へ自分から向かう人はいないだろってことを言いたいのだが、実際そうではない。
よく「つらいつらい」っていってる人がいるけど、いつまでつらいままでいるつもりなのか。
彼ら彼女らは僕がアイドルマスターシンデレラガールズと出会ったようにつらさから出ようとは思っていないのだろうか。そういう人って自分から不幸へ向かっているように思える。
今思い出した。誰かが言ったこと。
「不幸じゃないって幸せなことだと思う」
多分アニメキャラのセリフだからこれを引用しても攻撃力はない。
でも、なんかこのセリフと出会ったとき感動したことを覚えている。
幸せにならないと、今は何もないから幸せにならないとって思ってた時だな。
でも不幸じゃなかった。
つまりは、不幸じゃない状態、普通のなんでもない状態。それは幸せなことだと感じることができた。
要は、気分の持ちようってやつなのかね。
う~ん、説得力皆無だし、何を伝えたいのかよくわからないなこの文。
でも、もともと思ったことをそのまま文字にしようとして始めたんだっけ。ならいいや。
ふわっとした感じで文を締めたくないので、ひとつだけ断言しよう。
不幸な人はアイドルマスターシンデレラガールズを見ればいい。それで救われないならもうダメだからあきらめましょう。また来世!